実母の寝姿を見て、いろいろな思いが込み上げてきます。よかれと思う試みは全部試して、「最善の医療を受けさせてあげること」、これが残された子どもにできる最高の親孝行だと若い時分から考えてきました。
でも、それは独り善がりな私自身の思いであって、それが必ずしも実母の望んでいることとは限らないのだということに気付きました。気付きは遅かったけど、まだ十分に間に合うと思うのです。
家庭内での看取りが普通だった子ども時代
私の子ども時代は、現在のように医療も進んでいないし、病院の看護医療システムも整えられていない状態でした。年を重ねて病気になった時に、お世話をするのは身内の者で、大概がお嫁さんのお仕事だったように思います。
今考えてみると、子育て、食事の世話、お弁当作り、家の掃除・洗濯、畑仕事…いろいろとやることが多かった上に、親が老齢化すれば、さらに食事の世話から下の世話まですべてを引き受けてやっていたように記憶しています。
たまにお見舞いに行くと、紙に駄菓子を包んで持たせてくれたのを思い出します。辛いとか、悲しいとかそんな小言も聞いたことがなかった…。子どもだから知らなかったのかもしれませんが。
そして、老衰でご飯が食べられなくなったら、医者に往診してもらい、薬を出してもらうのが普通でした。衰えていく祖父を家族みんなで気遣い、みんなで見守り、最期もみんなで看取る…それが普通の世の中だったように覚えています。
衰弱していく祖父の姿を目の当たりにし、命の尊厳や、畏敬の念を自然に学んでいたように思います。
私も最期は住み慣れたこの地、この場所、この家で過ごしたいと、子どもながらにそうすることが当たり前のように、素直に受け入れていました。
しかし、そんな私も大人になり、時代が移り変わっていくと、子ども時代に思っていたことが薄れていることに気付かされます。
自分がよかれと考えることが、果たして他者にとってもよいこととして映るのかどうか。「最善の医療を受けさせること」が果たして親孝行になるのかどうか。
この記事を読んでくださっている方々は、どのようにお考えですか?
私は、人それぞれ十人十色、いろいろなお考えがあってよいと考えます。
ただ介護する側の独り善がりに終わらず、最期を迎える人が望む形を尊重したいと考えています。
ゆっくりと回復を促すためには、自宅療養か?
回復力に衰えのある高齢者は、一定の状態に戻すまでに時間がかかります。持病の有る無しとも関係しています。病気が治ったとしても、体力を回復するまでには時間を要し、療養期間を必要とする場合もあります。そんな時は、自宅療養の他に、専門の施設で介護を受けながら療養していくという方法もあります。
何かと制約が多い病院よりも、元の生活環境に近い状態で、療養ができる方が、ご本人にとってもよいのではないかと考えます。
病院で過ごすのがいいのか、それとも在宅介護や在宅で過ごすのがいいのか、終末期は、本当に悩むところではあります。ご本人の意思を尊重することが一番大事だと思います。残される家族にとっても悔いが残らないように、じっくりと考えるべき事柄だと思います。
自宅療養を選択する理由とは?
私の実母は、入院する前から、「延命治療だけはしないでほしい」と私たち子どもには伝えていました。「器械に繋がれて、苦しさを抱えたまま力尽き、旅立ちたくない」といった内容を普段から話していました。そんな実母の思いを酌みつつ、退院後は自宅療養を決めたのでした。
なぜ自宅療養を選択したのかというと、大きく4つの観点があります。
○家族としての役割
病院にいれば、患者としての立場しかなく、管理体制の中で過ごすしかない。しかし、自宅であれば、かなりの自由度が保て、家族とのかかわりの中での立ち位置が保障できる。
○普通の生活を続けて治療も行う
病院にいれば、必要な治療に充てる時間は確保できるが、それ以外の時間も病院の管理の元、過ごさなければならない。しかし、自宅であれば、今までどおりの生活習慣を崩さず満喫しつつ、必要な治療に充てる時間も確保できる。
○QOLの向上
病院にいれば、決められた時間、決められた食事内容や量、味などに従うしかありませんが、自宅であれば、病状に直接影響がない範囲内での自由が保てます。好きな味付けで、好みのものを摂取することができます。ちょっとした嗜好品もたまには味わうことができます。生活の質を落とすことなく、快適な生活が望めます。
○最期まで自分らしく暮らす
病院で終末期を迎えると、ベッドに寝ている時間が増え、面会時間の制限の中で、一人で過ごす時間も増えてきます。病院の白い天井や壁を見ているだけでは寂しいものです。しかし、自宅であれば、病院のような制限はなく、話したい時に好きなだけ話すことが可能です。窓から、外の景色を眺めることもできるし、家族の話し声をそばで聞くだけでも、病院とは違った自宅の良さを味わうことができます。
在宅医療に頼り、少しでも笑顔で過ごせる時間を多くしたい
在宅だと、お世話する人に大きな負担がかかるのではないかという不安があるかもしれませんが、心配いりません。また、すぐそばに医師や看護師などいないので、もし、何か起きた時に対応できないのではないかという不安も持たれるかもしれませんね。
でも、現在ではそのような心配はいらなくなりました。
医師や看護師だけでなく、介護士などがチームを組んで、在宅医療に当たるようにシステム化が進んでおり、医師の定期的な診察や訪問看護・介護、訪問リハビリを状況に応じて利用できるようになっています。こうしたシステムをうまく利用すれば、本人のみならず、家族の負担や不安の軽減もでき、安心して自宅でも療養できます。
毎日が少しでも穏やかに楽しく笑顔で過ごせるように、できる限りのよい環境を作ってあげたいと、私は思っています。
日増しに、ご飯の量が減り、一口だけで、「もうお腹がいっぱい」と告げる実母にかける言葉の数々。量は少ないけど、品数を増やして、好きなものを口にすることができるように気を配っています。でも、その時に返ってくる言葉は…。
「もうたくさん作らなくてもいいよ。どうせ食べられないから」
「もう十分よ。いつもすまないね」
今日のお昼にたくさん飲み干したのは、ノンアルコールビールでした。体に良い悪いは別にして、本人の欲するものを欲するだけ与えてもいいのかな。思いっきり「美味い!」と満足できるのなら、これも一時の幸せかもしれないと感じています。