介護の始まり~誰もが体験する想い~

介護

今年になってから、急激に体力が衰え、体の動きが緩慢になったことには気づいていました。また、実母が畑に出て、鍬を打つ姿を目にしていたものですから。それでもまだ大丈夫だろうと、私はたかをくくっていました。

コロナ禍中の即日入院

大正14年生まれ。昭和、平成の時代を生き、令和の時代がどう変わって行くのかを自分の目で確かめたい、そして、すでに他界した実父にも教えてやるのだという思いで、母は生きてきました。

3月、ポカポカと陽気な天気が続く日、ジャガイモを植え付けるために畑に出ていましたが、ちょっと腰をかがめて芋を植えたかと思うと、もう尻もちをついて、畑に座り込んでいました。そりゃ、もう95になったんだから、年には勝てないよ…そんなふうに私は思っていました。

明日になったら、「仕事のやり過ぎはダメだ!」と声をかけに行こうと思っていた夜、実母は、胸を押さえ、病院へと急ぐことになりました。

思っていたとおり、畑はもう無理なのだ…。畑仕事をしている姿を見ながら、なぜ私は、実母を止めなかったのかと、すごく悔やまれてなりません。

即入院が決まり、家の中はバタバタと落ち着きませんでした。

「うっ血性心不全、心房細動弁膜症」という立派な診断名がつきました。肺に水が溜まり、そのせいで、自力呼吸ができず、鼻から酸素吸入をしていました。

この時期、「コロナ」の影響を受け、身内でさえも面会が許されない状態がずっと続きました。

「実母のそばにいてやりたい」という思いがありましたが、それは叶いませんでした。これからどうなっていくのか心配でしょうがありませんでした。

畑のジャガイモ植えを止めさせていたら、こんなことにはならなかったはずだと、私は気遣いが十分にできなかったことを心から悔いていました。

私が止めたところで、止めるような実母でないことは誰もが承知していることですが、それでも私の責任であることには違いありません。

転院後のリハビリ

即入院してから2週間余り、実母は、呼吸ができなくて苦しくて仕方がなかったらしく、「もう、死なせてくれ、この苦しさから解放されたい」と夜な夜な泣き崩れて、インターン中の若い医師をずい分と困らせたようです。

幸いにも、処方された薬がよく効き、辛かった呼吸が次第に改善されていき、酸素吸入器を外せるところまできました。手取り足取りの手厚い看護のおかげで、リハビリができるところまで回復できました。この時期、病院に携わる方々のご苦労を考えると、感謝の気持ちでいっぱいになります。この場をお借りし、心からお礼申し上げます。

一定の期間を満たし、一定の回復が見込めたため、リハビリができる近くの病院へ転院となりました。5月に入り、コロナ対策措置が緩和され、お見舞いにも行ける状態となりました。やっと、実母に会える!母の姿を想像し、涙がこぼれ、病院で寝姿の母を見て、またポロポロと涙がこぼれました。

死と直面する前の苦しみをひたすら味わい、まったく生気がありませんでした。

「頭だけはしっかりしてる」というのが自慢だったのに、お見舞いに行っても、今日が何月何日なのか、薬は飲んだのか、まだ飲んでないのか、分からなくなっていました。耳が遠くなっているので、ボードを使って筆談するというのが定番になっていましたが、それすら理解できない状態になっていました。

「このままだといけない!」「家に連れ帰らなければ!」今回は躊躇している段ではない。実母の願いを叶えてあげなければ!という強い思いが私の中で生まれました。

6月20日(土)にやっと退院。やつれ果てた実母が帰って来ました!

今日から介護が始まる!

退院の前日、家に帰る前に「刺身と寿司を買う」と宣言していました。言っていたとおり、買い求めてきましたが、実際に食べたのはほんの少しだけでした。「病院の食事は味がないから」と盛んに言っていましたが、食べたかったものを目の前にして、満足だったのでしょう。

「病院は安心して寝られないから」とも言っていました。帰ったその日から、大きないびきをかきながら眠っていました。本当にぐっすりと眠っていました。

様子を見に行くたびに、眠っているので心配になり、顔の近くまで自分の顔を寄せて見ることがしばしばでした。

「寝たいだけ寝て、目が覚めた時は気分がいい」とも言っていました。ぐっすり眠れている証拠です。いっぱい眠れば、少しずつ回復するでしょう。回復すれば、「食べよう」という気持ちも強くなるかもしれません。

退院してから、今日で3日目。

指先が冷たいのは相変わらずだけど、親指を内に入れて握りしめることができるようになりました。まったく力はありませんけど。

食事が終わり、薬を飲む時間になりました。いつものことなんでしょう。「開けてくれ!」と言って、薬の入ったビニルの小袋を差し出します。私は握れることが分っていたから、利き手にハサミを持たせました。自分でビニルの小袋を切らせたいと思ったのです。利き手はまだ、大丈夫だからリハビリだと思って、チャレンジしてほしい…。

うまく切れました!大粒の薬を1つ、グラスに落とし、自力で飲むことができました。「できることは自分でやらせる」「できることなら、時間がかかっても諦めずにやらせる」という考えで援助していこうと思います。

今日の昼は、生気のなかった顔立ちが、何かスッキリして見えました。少しずつ元気を取り戻してきているのでしょうか?今日はいい日だったけど、そうじゃない日も来るんだと思うと、悲しいです。

自分のことを好きになるだけで、自信がつく。
自信がつけば、小さな「できた!」が積み上がる。
心を変え、態度を変えれば、よい人生へと歯車が動き出す。
自分を変えられるのは自分だけ!
自分を信じて前に進みましょう!
家族みんなで笑い合えるようになる
やさしい3ステップで
笑顔を取り戻しましょう!
臨床発達心理士&感情解放カウンセラー 
andante2
介護
シェアする
andante2をフォローする
家庭に笑顔を取り戻すカウンセリング