実母の介護が始まって、10日ばかりが過ぎました。あっ!と、思った瞬間に部屋の中で転倒しました。幸いにも、大きなけがはしませんでしたが、筋肉を傷めた時のような痛さが、翌日から出ました。
どこも骨折しているわけでもなく、ちょっとは痛いけど、動けるから大丈夫と高をくくっていました。朝目覚めた時の、倦怠感と腹部に筋肉痛があることに気付き、気持ちの上では、気を張っていたせいか、自覚がなかったけれど、体は、実は疲弊していたことにようやく気付きました。
同意の献立づくりと配膳
もう95歳だから、私と同じ量を食べることは不可能です。だけど、病院であまりにも食べなかったせいで、骨と皮にかろうじて肉がついているといった風情で、体重もうんと減りました。
これは病院ではありがちなこととは思いますが、実母もご多分に漏れず、塩気のない食事にお手上げ状態だったようで、まともに食べていなかったのです。
殆ど、水分補給と病院で出される薬で過ごしていた様子で、見舞いの際に手渡した、秘密のおやつも食べていませんでした。
「もう少し、食べた方がいいんじゃないの?」
と声をかけても、
「いいや、食べたら、夕ご飯がまた食べられなくなる」
などと言い訳して、ほとんど食べませんでした。
話をよく聞けば、「もう何が何でも家に帰りたい」の一心で、病院食は喉を通らなかった模様。
家に戻って、1週間はなかなか食事量を増やすことはできませんでしたが、殆どの時間を寝て過ごし、安心感と気疲れ、体の疲れが少しずつ回復した様子です。
ホワイトボードで筆談し、食べたいものを尋ねる。
そして、献立をその場で提示し、食べる量も決める。
食べることに絶望していた実母でしたが、徐々に出された食事を見て、食べようとする意思が感じられるようになってきました。
「食べることに貪欲で、長生きしてほしい」と思うのですが、そこはなかなか…。
でも、最近は、
「美味いのう」と言ってくれるので、やれやれ、味覚も戻ってきたのかなと思います。
脳機能の低下
いきなり、
「今日は何日かのう?」
と尋ねるものですから、
「6月30日火曜日よ」
と伝え、ホワイトボードに書くのですが、
その時は納得できるが、すぐに、ホワイトボードの文字を見て、
「昨日か?」
と尋ね直すことすらあります。
何度聞いても、日にちの流れがよく頭に入らないようです。
クロスワードとか漢字ナンクロとかが好きで、四文字熟語は、「さあ、かかって来い!」というくらい私より物知りだった実母なのに、まるで3歳児以前の問答のようです。
病院の3か月は影響が大きいです。
今までできていたことが、できなくなっており、覚えていたことも忘れてしまっている。短期記憶が急激に落ち込んでしまい、周りがうろたえるほどです。
とにかくご飯が食べられるようになれば、栄養素を摂り込めるから、元に戻るのではないかという希望に賭けています。
介護疲れと転倒の結果
転倒から3日目、どうも股関節部、右足の付け根辺りがどんよりと痛むのを感じていましたが、転倒というヘマをやらかしたことを知られるのが嫌で、実母には内緒。痛みをこらえながらそろそろと歩いて、何事もないように振る舞っていました。
自分の時間潰しの用事があって、この状態で少し歩いたのですが、
これがいけなかった。トータルで4キロメールを切るキョリだったのですが、帰り道は右足を引きずる格好で、本当にブザマでした。
翌朝は、直立不動、ゆっくり椅子に座る、立つはできるのですが、激痛のせいで、一歩前に踏み出すができなくて、心底、無理も無茶もしてはいけないお年頃なのだと、今さらながらに思いました。
自分が介護される側になったら、どうしようという不安が頭をよぎり、とにかく、実母には知られないように、うまくやろうと心に決めたのでした。
でも、バレました。いつもの動きと桁違いに違って、鈍いから。
「大したことないよ、そのうち治る」
って、言ってますけどね。